名曲聴いて、何になる?

クラシックの名曲って、何の役に立つんだ?

片桐禎三 (4)

片桐禎三 (4)


「ええと、あの、」
「おお」
「う、宇野っていう音楽評論家のヒトが、本
の中でそういうことを書いているの……自分
は前に読んだことがあります」

「ああ? 意味分かんないよ、おまえの言っ
てること!」
「はい……」
「そういうこと書いてるって、何のこと?」

「ええと、例えば、クラリネット五重奏曲と
言っても、クラリネット五本で演奏する訳で
はない……とか」
「おお。じゃあピアノ・トリオは何で演奏す
る?」
「ピアノとヴァイオリンにチェロっていう組
み合わせが多いと思いますけど……」

「じゃあピアノ三台でやる三重奏曲ってのは
あり得ねえのかよ?」
「いや、そんなことはないと思いますが」
「『思いますがァ』って、済ました顔しやが
って。ほんじゃそのときは、ナニ三重奏曲っ
て言うんだよ?」

「あの、そのときは3台のピアノのための何
ナニ、って言うんだと思います。3台のピア
ノのためのラプソディーとか」
「けっ…ラプソディーと来やがった。エラソ
ーに。だったら、今からここでおまえに五分
間演説させてやっから『わたしがピアノ・ト
リオについて思うこと』っていう題で、なん
かしゃべってみろ」

「……」
「どうした? ほれ、しゃべれよ」
「あ、あのメモを……しゃべることのメモを、
作ってもいいでしょうか? そのメモ作るの
に二、三分、考えさせてもらえませんか?」

「だめ。イイよ、そんなメモとか作んなくて。
はい、スタート」
「ああ……ええと、ベートーベンが、最初に作
品番号を振ったのはピアノ・トリオでした」
「ほう」

「でも、多分……ベートーベンのピアノ・トリ
オって、他の分野に比べてそんなにスゴいと
は言われてないと思います。『大公』ってい
うあだ名の名曲がありますけど……全体で見れ
ばぼくはハッキリいって、ちょっと退屈です」

「よーし、その調子だ」
「ええと、それで。ベートーベンは何と言っ
ても、弦楽四重奏のフ
ァンが多くて、実際ボクの耳でも『ノって書
いてるなあ』ってよく思います。評判も良か
ったっていうか、パトロン受けしてたんでし
ょうが、最晩年まで、とにかく自分が好きだ
から書き続けてます」

「はぁはぁ。それで?」

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片桐禎三 (3)

片桐禎三 (3)


右手にぞんざいに履歴書をつかんだままの片
平禎三は、玄武岩みたいに固まっている丘一
郎に
「ホラ、上野だから!」
と、じれったそうに言った。

「……」
「な? あれ、分かんない、おまえ? 上野
だよ、上野」
「ええと」
「ええと、じゃねえ! 上野だから藝大が近
いんだよ」
「あ、はい」

「上野に天下の藝大があるじゃんよお。だか
ら、ピアノ学科とかのオネエチャンが内緒で
アルバイトしてるわけ、そこで! な?」
「はい」
「その店で昨日おれ、大恥かいたんだぜ」


片桐禎三という人物は、その強持ての印象よ
りはるかにソフトな声を出した。決して細い
声ではなく声量は十分にあるが、それでも響
きが柔らかいのだ。

荒っぽい育ちの人のように見えて、実は育ち
がいいのかも……と、その声が思わせるのだっ
た。
「席についたオネエチャンによ、『いまどん
な曲練習してんの?』
って、おれが聞いたらよ、なんたらのピアノ
・トリオって言うワケ。な?

そんでピアノ・トリオって何だって聞いたら、
ピアノ三重奏曲って言うからよお、ピアノ三
台で弾くんか? っておれ聞いたワケ。

したら不自然な間があってな、そのあと店じ
ゅうがドワぁって、もう爆笑よ。思う存分笑
われちったんだよ、オネエチャンたちと他の
客にもよお。まぁったく! なあ、どう思う
あんた、これ?」

「へ……」
「どう思うっつーの?」
こんな面接ねえだろうというマンガみたいな
光景なのだが、その場で丘一郎がイメージし
ていたのは
(つなぎ止め)
だった。

この世に本当の意味で着地していない役立た
ず人種にとって決定的な意味を持つ他人の行
為がこの
(つなぎ止め)
だった。

それは作業服姿の片平禎三が、丘一郎の袖だ
か襟首だかをグッとつかんで地上に引きとど
めてくれている、その感覚だった。

そんな風に誰かがつなぎ止めてくれなければ、
役立たず人種はいつまでもフワフワと地上を
さまよい続けなければならない。

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片桐禎三 (2)

片桐禎三 (2)


面接担当者二人が同時に
(あっ)
という顔になった。

何らかの意味での重要人物だなということは
丘一郎にも分かった。しかしまさか社長が作
業服(当時の言い方で菜っぱ服)で現れると
は思っていなかった。

それが片桐禎三だったのである。そのうえこ
の片桐が
「面接だろ?」
と担当者二人に向かってそう言ったのはイイ
としても
「で、どうなの? 決まりそう?」
と、丘一郎に聞いてきたのには返す言葉もな
かった。


面接真っ最中の学生にそんなことを聞いてく
る経営者がどこにいる? それでももし、丘
一郎がここで何か言えたとしたら、こう言っ
ただろう。
「いま、ちょうど落ちるとこです。ええ、ち
ょうど今」

音楽を当てるなら、モーツァルトの小ト短調
というあだ名のある、あのシンフォニーの冒
頭部だ。

ちなみにここでウンチク語らせてもらうと、
ネヴィル・マリナー音楽監督を務めた映画
アマデウス』では、ウィーンの息子を訪ね
てきた父親のレオポルト・モーツァルトが、
息子の見上げている高い階段の踊り場の上で、
黒いマントをバアっと広げる場面でこの旋律
が流れる。

すんばらしいイマジネーションです!

片桐社長は菜っぱ服だったから、もちろんマ
ントなんて広げないが、その姿を見た面接担
当者二人は弾かれたように立ち上がった。

「社長、こちらにお掛けになって」
だが片平禎三は手を払って言う。
「いや、おれ座らない」
そうしてテーブルの上から無造作に履歴書を取
り上げると、丘一郎の方に向き直った。

「おおっ。趣味はクラシック音楽鑑賞か」
「はい」
「上野にな、ピアノバーっつうのがあってよ」
「……」
「なんか訳あり風に秘密クラブめかしてて、
いい金取りやがるんだ、その店。知り合いに
連れてかれたんだが」
「……」

「そこにな、ピアニストのタマゴみたいなオ
ネエチャンが並んでるんだわ、ホステスで」
(いったいどういう展開なんだ、これは?)
という驚きの中で、丘一郎は運命が回る音…
…のようなものを聞いた。

それはゴリゴリっと丘一郎の人生を回しつつ、
天の啓示のようにある理解を彼に与えた。あ
あ自分はこの会社に雇われるんだ(!)と。

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片桐禎三 (1)

片桐禎三 (1)


園部丘一郎が「きんつば」で新卒採用試験の
最終面接を受けたのは、今から四十年以上前
のことだ。

それは昭和四十年代最後の年で、「きんつば
の社屋は下町にあった。ビルとして特に立派
ではないが当時としてはみすぼらしくもない
その5階建ての4階にある会議室が面接会場
だった。

一次、二次面接の会場は、窓から陽が燦々と
差し込む大きな会議室だったが、最終面接は
窓のない小さな会議室でニ対一である。

「何度もお越しいただいて恐縮です」
と口元をゆるませた白髪混じりの担当者(総
務部長)は、しかし目が笑っていなかった。
もうひとりの担当者(役員)も、挨拶の後で
は射抜くような視線を丘一郎に向けていた。


「今日は正直に申し上げますね」
白髪混じりが言った。
(やっぱり来た!)

「園部さんは立派な大学を出ていらっしゃる
ので、ウチ程度の会社
にしてみれば、まったくもったいないような
人材で、両手をあげて歓迎……という反応が
社内にある一方、あなたはどうもおとなし過
ぎるのではないか、覇気に欠けると言ったら
失礼で言い過ぎかも知れませんが、要するに
ウチで働いていただくからには、もっとやる
気を見せて欲しい、といった意見もあるんで
す」

(そりゃそうだろう……)
丘一郎は喉が詰まるような圧迫感を覚えてい
た。
(おれ自身が落ちてくれ、もういいから落と
してくれ、ってどこかで思っているんだから)


「これまで、すでに型通りのことは、こちら
から何度もお聞きしましたよね。ですから今
日はその『やる気問題』の方を、何と言うか
ざっくばらんにですね、それこそ腹を割って
お話し出来たらと思っています」

(ああ、これで終わりだ。終わった……こう
いう風に来られたら、もうどうにもならない)

(そりゃそのはずなんだよ。おれの全身から
にじみ出てる「役立たずオーラ」に、この人
たちが気づかないはずがない)

そう思って丘一郎がいよいよ観念しかけたと
き、ノックもなしにいきなりドアが開いて薄
緑色の作業服姿の男が入ってきた。

大柄でギョロ眼、色黒で胸板が分厚く、髪を
短く刈り込んでいる。あえて言えば
(ちょっとだけ洗練された山賊)
みたいな印象だ。

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お昼 (4)

お昼 (4)


彼自身そういうことに必死になる自分にどこ
かで苦笑もしていたけれど、それでもやっぱ

(お父ちゃんは、会社ではすごーく変なヤツ
なんだよお)
(あのなあ、お父ちゃんはなあ、仕事なんか
何にもしないで、社長とクラシック音楽の話
をして、それで給料もらってるんだよーん)
とは言えなかった。

職場ではすっかりおちゃらけ者で通っている
くせに、家に帰ればことさらに重々しく振る
舞って威厳のある父親を演じる人物というの
が、丘一郎の子供時代の映画やドラマにはよ
く出てきたもので、観客としてなら丘一郎も
彼らを見て大笑いしていられたが、いざ己が
家庭を持つ身となってみれば他ならぬ彼自身

(それ)
なのだった。


洋一は子供らしい直感で嫌な気配をそこに感
じ取った。父親が息子に、自分が好きな音楽
を聴かせようとしない頑なさに、である。

そうして彼はクラシック音楽がキライになっ
た。父親ももちろんキライになっただろうが、
とりわけクラシック音楽とセットになったと
きの父親は大キライのはずだった。

言葉で確かめたことはもちろん、ない。
(すまん!)
という気持ちはずっと丘一郎の中にあった。

だが一方で
(これはどうしようもないことなんだ……)
という気持ちがいかんともし難かった。ここ
でまた、彼の記憶はあの日に飛ぶ。

船会社に送った履歴書が
(宛先が見当たりません!)
のゴム版を押されて戻ってきた翌日、丘一郎
は大学の就職課に恐る恐る顔を出し、能面顔
というか弱法師のお面そのままみたいな顔を
した職員からビル管理会社「きんつば」の求
人案内を見せられた。

もしこれが映画の一場面で、何か音楽を……
クラシック音楽の中から何か選んで……当て
るとするなら、丘一郎はマタイ受難曲のアリ

「わたしを憐れんで下さい」
を当てるだろう。信仰に厚いクリスチャンか

(ふざけるな!)
と罵倒されたとしても。

「どうですか、この会社は」
と、就職課の若い職員はごく事務的に言った。
丘一郎は殊勝に
「はい」
と応じた。

これは口先だけでなく、彼はその日のうちに
履歴書を「きんつば」に送った。試験日はす
ぐに知らされ、彼は書類審査に合格し筆記試
験と一次面接、その後の二次面接も通過した。

(受かりたくて受かりたくない……)
という気持ちでいる丘一郎には、それは蛇の
生殺しだった。

それでもやがて
「最終面接にお越しいただきたいと思います」
という通知を受け取ったときには
(もうこれで終わる!)
とホッとした。タイミングとしてそれはまだ
まだ早過ぎるのだが。

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お昼 (3)

お昼 (3)


「お父さんがせっせとレコード買い集めてた
時代は、日本人がそれぞれの楽しみごとにど
んどん金を使い始めた時代だったから、クラ
シック音楽だってビジネスとして拡大要素が
多かった。でも今は全然お金にならないでし
ょ?

というか、昔から大してお金になんかなって
いなかっただろうけど、これまではマァ、親
が稼いだ金を息子や娘のお芸術につぎ込んで
もどうってことなかった。

それだけ日本の製品は世界中で金を稼いでい
て、子供に芸術やらせるのも、道楽の一種み
たいなもんでサ」

丘一郎が好きでよく美知枝にリクエストする
ので、食卓にはスパゲティのカルボナーラ
が出ている。
「だけど、もうそういう時代じゃない。いま
どき娘を音大に行かせる親って、どうなんだ
ろう?」

そう言う洋一に美知枝が応じた。
「だけどねえ。うちだって、もし慶介が音大
とか美大とか行きたいって言ってたら、あな
たどうした?」

「慶介? 慶介なんて、最初っからその方面
とは無縁じゃないか」
「それは結果論。もしそっちへ行きたいって
言い出してたら?」
「有り得ない想定過ぎて、答えようがない」

「あなた、案外オーケー出したかも」
「冗談じゃない!」
「案外そういうもんなのよ、ねえ、おじいち
ゃん?」
急に話を振られて、丘一郎は粉チーズの容器
を倒しそうになった。

おそらく美知枝
クラシック音楽好きのおじいちゃんなら、
どうしても芸術方面に進みたくなる子がいる
ってことと、取りあえずその気持ちを尊重し
たい親の考えってもんも、ようく分かるわよ
ね)
というくらいのつもりだったのだろう。

だが、洋一という息子は父親とクラシック音
楽の組合せそのものを非常に胡散臭く思って
きた(に違いなかった)。美知枝はそれを知
らない。

あるいはその気持ちを共有していない。息子
が小さい頃、丘一郎は、一緒に音楽を聴きた
がる我が子を避け続けていたのである。

ただしそれは意地悪
でも特に冷酷だった訳でもなく、ただこの父
親が
(おれの正体が息子にバレてしまう!)
と恐れたせいだった。

そもそもの結婚の経緯を思えば、いまさら息
子に何を隠すのか……というくらいのものな
のに、人間には宿痾のように
(見栄の張りどころ)
があるのだった。

他人から見れば単に馬鹿馬鹿しいだけのこと
なのに。ともかくも、丘一郎は息子の前で
(まともなサラリーマン!)
を演じるのに必死だった。

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お昼 (2)

お昼 (2)


「CDラック?」
「そう。軽く5、600枚はあるよね」
「いや、ごくおおざっぱに見積もれば500
近くになるか、ならないか……」
「それで十分! 彼女、絶対よろこぶ」

「見るだけで、か?」
「うん。そっから話が弾むね、きっと!」
「いや、そりゃ見るだけだったら幾ら見ても
らっても構わんが」
「ありがと! じゃおれ、今から彼女迎えに
行ってくるから」

「今から? 昼飯食わないのか?」
「あ、彼女と会ってから二人で食べる」
片手を上げて慶介は行ってしまった。


「慶介が彼女連れてくるんだって?」
丘一郎は居間に入り、テーブルの上を片づけ
ている美知枝(息子の嫁)に尋ねた。

「そういえば……お義父さんは会ったことな
いよね。道場さんっていう子。チサちゃん。
目がくりくりしてて可愛い子よ。数字の千に、
更紗の紗だったかな……。はきはきしてて素
直なお嬢さんだわ」
美知枝は顔を上げてそう言った。

「もう何度か来てるんだ、ウチに?」
「うん。あたしは今日で三回目。たぶん。あ
の子に会うのは」
「おれもいっぺん会ってる」
洋一は箸をそれぞれの場所に置きながら
「しかし彼女は音大行くって言うんだけど、
行ったあと、どうするつもりなんだろうね?」
と誰にともなく言った。

美知枝はこれ答えず、丘一郎にはもちろん答
えられる訳もなかった。ただ、自分の息子の
就職については
(まだまだ)
と思っている様子なのに、そのガールフレ
ドの将来についてあれこれ言うこいつはおか
しなヤツだ、と丘一郎は思い、遅ればせに
(……ああ、これは要するにアレか!)
と気がついた。


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