名曲聴いて、何になる?

クラシックの名曲って、何の役に立つんだ?

思い出に浸るな! (2)

思い出に浸るな! (2)


(そんなの見なくても全然オッケーなんだけ
どなあ)
気休めやその場しのぎ、まして余裕かまし
イイ気なポーズでそう言うのでは断じてない、
と彼自身は思っているが
(じゃあ、ちゃんと訳を説明してよ)
ともし孫に言われたら、恐らくまたシドロモ
ドロになるだろう。

(訳は、ちゃんとあるんだが……)
丘一郎は亡くなった妻が愛用していた窓際の
揺り椅子に浅く腰掛けて庭を見た。狭苦しい
庭だが隅の方でユキヤナギの白い小さな花が
咲きこぼれている。

「おまえ、彼女いるのか?」
と、まるで艶消しの調子で
「ビニールの黒い長靴持ってるか?」
と聞くみたいに片桐社長が言った。

あの声! あの声が、丘一郎の頭の中によみ
がえる。亡妻はその「きんつば」社長の親戚
で音大出だった。

丘一郎は四回目か五回目かのデートで彼女と
ラヴェルのピアノコンチェルトを聴きに行っ
た。その翌週のデートは映画を観に行く約束
だったが、朝、彼女から電話がかかってきて
(安アパートの呼び出し電話で大家に起こさ
れて)

「あたしさぁ、急にドーナツ作りたくなった
んだけど、うち来ない?」
と言われ、恐ろしく緊張して近所の花屋でバ
ラの花束を作ってもらい、彼女の家を訪問し
た。

(うわぁ、ダメだ。そういう思い出の方へ行
っちゃいかん!)
丘一郎は慌てて椅子から立ち上がり、しかし
他にどうするというアテもなく肩をぐるぐる
回して腹式呼吸をした。

(とにかく思い出に浸るのはダメだ)


にほんブログ村 クラシックブログへ
にほんブログ村