名曲聴いて、何になる?

クラシックの名曲って、何の役に立つんだ?

その記憶 (4)

その記憶 (4)


(役立たずならジタバタせず、役立たずらしく
生きて見ろ!)
というさとしの象徴として、この封筒が自分
に突っ返されたのだと彼は信じ込んだ。

役立たずとは何か?

丘一郎がわがこととして自覚する役立たずと

(能なし。物事の役に立たない人間。ごくつ
ぶし)
などといった他人ごともいいところの定義で
済まされる存在のことではない。

彼は自分がまだ地面にちゃんと足のついてい
ない人間なのだと思っていた。彼はちっとも
スピリチュアルな人間ではなかったが、自分
がこの世に生まれて、まだ
(生まれきっていない)
ような気がしてしょうがなかった。

浮かれ気分で地に足がついていないのではな
く、身体の三分の一だか四分の一だかがまだ
別の世界に属していて……こっちへ出て来て
いないような気が、いつもしている。

辞書に書いてあるような定義が彼の役立たず
に当てはまらない証拠に、小さい頃から彼は
学校の成績が良く、友達受けも悪くなかった。

ところが
(おれってエリートだな)
(大人になったら、きっとけっこう「エラい
ひと」になっちゃって、マスコミとかに出た
りもするんだろうな)
とうぬぼれていた小学五年の春に、自覚は突
然やってきた。


クラスメイト四人と出かけたサイクリングで、
気持ちよく田舎の一本道を走っているとき、
順番が来て先頭に出た丘一郎は
「この先、右? それとも左?」
と仲間に尋ね
「右」
と教わった直後に思いっきり左に進んで勝手
に一人だけはぐれた。

このときはそれでも
(あいつなりに何か考えがあって、わざとや
ったんだろ)
と好意的に解釈してくれた友人もいたが、苦
労して再度合流したその帰り道、今度は交通
量の多い道に出る手前で
「クルマに気をつけて!」
と言われた直後
「おう」
と答えながら止まっているライトバンの後ろ
に激突した。

みんなに笑われるだろうと思った丘一郎を面
食らわせたのは、凄まじいくらいの沈黙だっ
た。

「仲間たちの沈黙」だ。いたぁい沈黙。

じっさいこのときの彼らの沈黙は丘一郎をメ
ッタ刺しにした。刺すような視線という言い
方があるが、メッタ刺しの視線というのもあ
る。

丘一郎だけがむなしく笑った。笑ってごまか
そうとする以外、何も出来なかった。

(こいつはもしかして……)
という疑いがみんなの頭に兆していただろう。
(とんでもなくすっとぼけたヤツなのかも知
れない)


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